アモルファス高木の日々

不動産、ゲーム、結婚

MTG時代の3年間

中学生だった頃、当時のクラスメイト、バゲヲを坂本ってやつと岡ってやつと一緒に始めたMTGマジック・ザ・ギャザリング

学校帰りに友達の家で遊ぶ程度だった娯楽のはずだったのだけど、SOGOのパセーラって場所でMTGイベントがあり行ってみようという事になり行ったのが、僕が人生を踏み外す第一歩だったのかもしれない。

 

イベントだし小中学生が多いのかと思えば、そこには沢山の大人達。そのイベントで何をしたかはもう覚えてないのだけど、横川にあるプレイスペースという結構ガチなカードショップを教えて貰い友達4人と行ってみる事になったのだけは覚えている。

 

その店で入った瞬間、トレードしようと声をかけてきたのはモリモ。

当時は自分の持ってるカードを人と交換する事で、お金をかけず自分のデッキが組めるという事で、このトレードという方法が基本だった。

モリモと、どんなトレードをしたのかは忘れたのだけど、確実にぼったくられたトレードをしたのは覚えている。このプレイスペースという場所で、モリモにぼったくられるトレードをされる事は当たり前の出来事で、洗礼を受けた。

モリモが常駐してるからプレイスペースには行きたくないという人がいるくらいには広まっていた。ちなみに、当時、二宮はモリモとは距離を置く立ち回りをしていた気がする。

 

 

プレイスペースというカードショップには、本当に人が多くて、土日になると40人くらいは人がいて皆がMTGの対戦をしていた。知らない人に声をかけ対戦するのが一般的で、中学生の俺には世界が広がったようで楽しく毎日、中山から横川まで自転車で通ってた(片道45分)

 

そのうちプレイスペース勢として受け入れられたのか多くの人達と毎日遊ぶ様になり、大学生や社会人に連れられて毎日、横川で外食して帰る。中学生には刺激的過ぎた。

 

プレイスペース勢の中学グループは、

モリモ、兄貴が代表格で、バゲヲ、津村、ミッチー、パンダ、有田、石本、野田、三浦、マスコ、ふくちん等々。

高校グループは、二川さん、そがっち、浜野、としお、等々。(全員、ルノア君と同じ学校だった事が後で判明)

大学生は、枡田さん、江原さん、武内さん、菊池さん等々。

社会人は高さん、りゅーさん、竹内さん、魔神、秋月さん、等々。

 

本当はもっと沢山いたはずなのに名前が思い出せません。中学グループは今でも繋がってはいますね。

 

工大に通っていた枡田さんが、PTQ(プロツアー予選突破者)で、プレイングが上手いと皆が慕っていた。

名前が出てきた津村は現在、コガモという名前でMTG界殿堂入りを果たしたプロプレイヤーに。

 

プレイスペースは県内ではレベル高いショップで毎月大会も行われてました。

 

 

○プレイスペース勢以外

 

ソフマップ勢、はとや勢、レプトン勢が他にはいたかな。

  

○大会方式

 

スイスドロー式5回戦いうのが主流で、勝った人同士が対戦していく方式。ただワンマッチではなく、2本先取でした。

1試合50分、10分休憩という模擬テストのような形で試合は進み50分経っても決着しない場合はドローになる。

 

当時のMTGは各プレイヤーに永久的な番号が与えられ、公式大会でポイントが上下するというもの。DCIポイントと言うものでした。

僕は45914568。今でもこの番号は忘れない。

 

1600ポイントでスタートして、自分より高い相手に勝てばポイントが沢山増え、負けたら減るというもの。プロツアープレイヤーが当時は1900台。(2000を超えたのは、日本では数人しかいなく、その中の1人が後の津村でした)

 

プレイスペースでは毎月、プレイスペース勢のポイントが貼紙され、そこで一喜一憂するのが毎月の行事で高い人は、1800台。枡田さん、兄貴、バゲヲは1800台をキープしてたかな。僕は1750くらいでした。それでも中の上で、大会に優勝か入賞を繰り返さないと1700は超えていかなかった。

 

逆に1500台の人も存在して、そういった人は馬鹿にされるのが常。結構、残酷な業界で、1500台が喋るだけで、喋んなカス!と罵倒されたりしてたのを覚えてます。結果が全て。基本的に1500台の人は精神苦痛の面からMTGを辞めていく人を何人か見ました。

 

そういった実力至上主義の世界に疑問を持ってた社会人グループと、実力主義の大学生グループに派閥があり、僕らの知らない所で色々言われてた模様。中高生グループは、皆、大学生側についていて、そのTOPが枡田さんでした。

 

 

○大黒屋

 

県内で1番大きな大会で、大学生の枡田さんが3ヶ月に1度くらいのペースで主催していました。大体、東区民文化センターか西区民文化センターで朝10時〜夕方まで。

兄貴、バゲヲ、野田、僕といったメンツは、毎度大会前夜は、五日市駅の裏に住んでいた枡田さんの家に泊まり込み、五日市駅前の吉野家で飯を食べ、深夜まで対戦してから、大会に臨むというのが日常的でした。(今思えば中学生のやることじゃないですね…)

僕は特に枡田さんと交流が深く、かなりの頻度で家に泊まりに行ってた。

 

この大黒屋は県外や西条から人が来ていて、そこで西条の人達と交流を持つように。

(ジフや、三上さんとはここで知り合う。当時、お互い14〜16歳くらい)

 

僕は14歳〜15歳の2年間、この大黒屋に出続けていたので優勝した事もあるし、入賞したこともあるし、惨敗し過ぎてキレて帰った事もある。勿論、三上さんやジフと大会で当たった事もある。ジフとは準決勝で対戦する事になって話すようになり、数年後ギルティも一緒にしていた。

 

プレイスペース勢が切磋琢磨してデッキ考察やプレイング考察を頑張ってたのは、この大会があったからと言っても良い。

 

 

 

○日本選手権

 

年に一度ある、全国大会予選。

広島はグリーンアリーナで参加費3000円と高額。そこで8位以内に入れば池袋のサンシャインビルの中で行われる、全国大会に出れるといった大会。

 

2000年の全国大会予選は8回戦の

3勝5敗くらいで、明らかに僕は圏外。

予選人数は70名を超えていた。

だけど、兄貴とバゲヲは8位以内を果たして、日本選手権に出場した。相当、悔しかったのを覚えてます。

 

当日枠狙いで、プレイスペース勢8人くらいで、はじめての東京。14歳だった。池袋のカプセルホテルに、中高生の集団が泊まり、カプセルホテル内でMTG対戦をして騒いでるもんだから、ヤクザみたいな奴が怒りにきたのを覚えてるわw

 

当日枠も結果は無理で、観戦してたのだけど、生で雑誌に載ってた社会人達がプレイしてるのを見て即発されたなー。

 

 

翌年の日本選手権2001年の予選は

6勝1敗1分で、7位で通過した。

 

一回戦目に、菊池さんのヨーグモスバーゲンという凶悪なコンボデッキに負けて萎えてたけど、その後、全勝して、最後の最後、引き分けになり、オポーネント差(自分が勝った相手の順位のポイント合計値)で7位に。

グリーンアリーナで叫んだ。

 

俺のライバルであり同級生だったバゲヲは高校受験の年だった為、大会には出れなかった。

ちなみに一緒に抜けた中に、モリモがいた。

 

本戦は2勝4敗で、1日目で敗退しました。

ちなみに2日目はドラフト戦。最近よくあるスマフォカードゲームの闘技場のようなルールのやつです。

(15歳で初めて秋葉原に行き、kanon全盛期で、kanonのポスターだらけだった)

 

 

ちなみに、この翌年だったか忘れたが、

津村が初めて日本チャンピオンになる。

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MTG界で、偉業達成の一歩目

 

 

 

○プレイスペース移転事件

 

横川にあったプレイスペースは家賃の高さの関係か、同じ横川なんだが凄く狭い場所に移転してしまった。2000年の秋くらい。

そのせいで人が分散してしまった。

祇園にマナソースという店や、五日市レプトンの中にカードショップができたりした。丁度この時、広島駅前にGIGAという建物がオープンして(元イズミ)、その中にもカードショップが誕生し、府中のレプトン(今マックがある場所)にも新たにカードショップが出来て、皆が皆、家から近いカードショップに通うようになってしまった。

 

実質プレイスペース勢は崩壊。

枡田さんは、鷹野橋商店街にある、はとやに通うようになったので、僕も、はとやに通いだした。モリモ、兄貴、津村、バゲヲも。

他のメンバーは受験だったり就職だったり、熱が冷めた等々の理由でいなくなってしまった。

 

この時、はとやの近くにあるオフィスビルのバイトをモリモがしていて、中学生の僕と津村も雇ってもらえないかね?という話をしたら、年齢を詐称して雇ってもらう事ができた。

こうして3人は、夕方はオフィスビルの掃除のバイトをして、バイト後に、はとやでMTGをしていた。今の時代では完全にアウト案件。

 

 

○野田との衝突

 

野田ってやつと僕は衝突した。

元々、俺が最初は教えて上げていて、そのうち上達してデッキを色々話し込む仲に、なっていた。

そのうちDCIポイントも同じ1700台で、考え方やプレイングやデッキ等の事で違いが生まれ、些細な事から衝突した。完全に不仲になり、枡田さんは、丁度この時期に就職活動が始まったりしていてショップに来る頻度も落ちていて、僕も2001年には活動する場所を、GIGAへと移した。

 

 

GIGA

 

1999年からプレイスペース勢として周りに囲まれてプレイしてた俺は、新たに1人で活動しだしたつもりだったが、たまたま浜野がGIGAにいて一緒に遊ぶようになり、GIGAに毎日くる連中と、どんどん仲良くなりGIGA勢と2chで呼ばれるようなモノになっていった。

 

プレイスペースでプレイしてたガチの環境から、すげーゆるい対戦環境になったので、気楽だったし、その中で1番DCIポイントが高かったのもあって、皆から慕われて居心地が良いのもあった。

 

先日あった僕の披露宴、岡田のスピーチで、

「高木は年上に敬語も使わない最初は失礼な奴だったw」と言っていたが、当時はDCIポイントが全ての環境だったプレイスペースの、ノリが抜けてなかったからだ。今考えたら、中学生が高校生相手に敬語も使わないとか、ありえないw

 

GIGA勢は、(左から)

津村、岡田、宮岡、石ぽん、藤岡、山中家、モリモ、マスコ。ここにはいないが、浜野、としお、小西兄弟、三川、中本、神龍、ボス、魔王、将軍といったメンバーだった。

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現在はこんな感じ。

 

 

 ○GIGA勢は無茶苦茶だった

 

カードショップが4階にあったのでMTG対戦に疲れたら、5階のゲーセンに行ってゲームして夜22時まで遊び、22時からは公園でラーメン食べながらダベって過ごし深夜に解散して、各々、翌朝は各中学校に向かう。しかも受験生が。

 

三川と中本は同じ中学だったが、かなりの不良で先生方から目をつけられ、GIGAのカードショップに先生方が来たこともあり、僕までとばっちりを喰らい喧嘩になったことも。

 

それでも土日なると各地である大会を荒らしあげた。明らかに使ってるデッキのレベルが違い勝負になっていなかった。

他のカードショップは出来たばかりで初心者が多くレベルが低かったので市内ではGIGA勢が1番強い存在にはなっていたと思うが、プレイスペース時代と比べるとレベルは落ちていたと思う。

 

本気でプロを目指すならドラフト戦の技術を身につける必要があり、西条のカードショップにプロツアーを抜けた桧垣さんって人がいて、その人を取り囲むように西条に人が集まりだした。モリモと津村も、西条に通いだした。

その西条の厳しさは人間関係を崩す程、酷いものがあり、僕も数回行ったが、すぐ行かなくなった。ドラフト戦は本当に地獄。

 

残ったメンバーはGIGAで道楽を繰り返し、一部のメンバーが、賭博麻雀まで始めて遊びだし、翌月、GIGAのカードショップの店長のクビがとぶ。

GIGAのカードショップは縮小という形で警察沙汰にはならず事は終わりました。

 

不良の三川と中本が、GIGAのゲーセンで悪業を繰り返したせいか、直接的な理由は忘れたが、元本という男が木刀を持ってトイレに立て籠もる事件が起きた事もあった。ゲーセン勢の名前では、ナンバー1って名乗る当時のゼクスのジョニー使いだったらしい。

 

ゲーセンでは初代のガンダムVSシリーズを、対戦してた時、三川と中本の友達に、青犬ってやつがいて、青犬はMTGはしてなかったけど、4人でよくガンダムをしていたね。

本来使用禁止だったジオングを三川が使い対戦して、知らない人に喧嘩売られてリアルファイトをしたのが、後のガンダム勢の赤軍

 

しばらくして、三川、中本はネットのMTGトレード場所で詐欺行為を働き、警察に捕まり自然とGIGA勢は終わりかけていった。

 

 

○16歳になる

 

周りのみんなは高校生になり、

2002年の日本選手権。

赤黒コントロールという自前の得意デッキで挑むが、土地事故で立て続けに負けた。

 

MTGはマナを出すのに土地カードを引かないといけない。普通60枚デッキなら25枚入れておけば6試合中6枚以上は引いてくる確率。

僕はそのランド事故が怖くてデッキに27枚土地カードを入れていた。それなのに、1番大事な大会で事故が続いた。土地が引かないとマナが出ないので何も出来ず相手に殴られるだけになってしまう。

 

そもそも土地を27枚入れる事は、土地が飽和状態になりやすい確率も上げてしまい、デメリットの方が多いのだ。60枚デッキで、スペルカードは33枚しか入られなくなってしまうので。

 

その敗退が本当に萎えてしまってMTGに注いだ3年のモチベーションが完全に消えてしまった。

 

2002年の5月にそんな事があり、8月まで無気力なまま過ごしてた所に、浜野が、「ギルティギア イグゼクス」の全国大会予選があるから、一緒に見に行かない?と、誘われたことにより、ギルティギアという格ゲーマーの道を歩む事になった。

 

そして中1から一緒だったバゲヲに、

「運が絡むゲームは嫌いだ」

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と、言い残しギルティの世界へ…。

 

 

仕事中、暇だったので覚えている事を書いてみました。披露宴は、本当に感謝です。

 

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